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とるにたらない日々のこと

2011年秋生まれの男女の双子と2016年早春生まれの次女と転勤族の夫との日々です

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 幼稚園の第三希望条件・私の青臭い理想


転勤後の幼稚園の事を考えていたら、考えすぎて頭ボッカ~~~~~ンなって、
「もう、幼稚園行かなくていいんじゃない??」というところまで突っ走って折り返してきました。
今は、焦らず見学して5月から登園くらいで!と思っています。でも、年長だし行事がねぇ。
いや、行事より生活だし…グルグルグル。
そんな頭ボッカ~~~ンな時に書きなぐった記事です…


年長で転園した場合の園の希望は、
「徒歩通園圏内で初期投資が少なくて済む園」 に現実はなるのですが、

考えていると、こんなんが良いな~と考えが沸いてきたので、書いてみます。
私の頭の作りは、一つの事を考え出すと、他の思考もガラガラと同時に回転しだすようで。
『幼稚園の転園』を考えるループに乗って走り出すと、
背後の、『理想の幼稚園』 『インクルーシブ教育を知りたい』 『寛容と不寛容』
『学習の違うやり方』 『次女の事故予防』 など、保留にしていたものもガラガラガラ~と回転しだして、息切れするようです… 

自分の思考整理のためですので、面白くありませんし、ダラダラ長いので、ここでブログを閉じてください…


ずっとずっと心に引っかかっている半年前の相模原の事件が思考の発端です。


幼稚園の第三希望として、異年齢保育を取り入れている園がいいのですが、
異年齢保育はモンテッソーリ教育を取り入れている園では、日常的に行われます。
モンテッソーリの幼稚園は系統的にキリスト教系の園が多いんですよね。

私は、異年齢保育で、自由保育をしているところがいいんだけども。

自由保育は、野放し保育ではないので、
子どもの意思と興味を見守りつつ、
『遊び』を自分で始める時、その『遊び』を自分が気持ちよくできる環境、
『遊び』が他の子どもとつながって発展する時、『遊び』が次の『遊び』とつながって経験になる時…
上手く手助けできる保育者の存在が欠かせないんですけど。

でも、クラスの人数が多いと、自由保育って不可能に近いと感じています。

今、通っている幼稚園は、全園児数が20名程度のため、自然と異年齢保育になるし、
自由保育をするうえでも、各クラスに教諭一人でもきちんと目が行き届き、子どもの様子を見ながら次の展開を考えられます。
園児が少ないのがいいのか悪いのか…という気持ちになりますが、
自由保育の観点から言うと、実は園児が少ないって理想的な環境なのです。

しかし、1クラスが20名を超えるようになると、教諭一人で自由保育を行うことは困難なのは、すぐに理解できます。

もし可能にするならば、
適切な環境…緩やかに仕切られた空間に、机上遊びや見立て遊び、ごっこ遊び、絵本といった、
遊びを構成するおもちゃが過不足なく用意され、

経験と知識を持った保育者、教諭がいる…

あれ、これって『幼稚園』では難しいのかな。
幼稚園は教育機関だから、なかなか『遊び』を中心とした運営をするところを見つけるのが難しいなぁ。と思います。

実際には一斉保育を主体として、『遊び』の時間に部分部分で自由保育って感じが現実なんでしょう。

うん、ここまで園に求めるのは理想です。
遊び込める環境と時間は、限界があるけど、家庭の中で用意するのが良いんだろうと思います。

幼児教育、幼児保育の際に、自由保育がいいなぁと思う理由なんですが、
小学生になると、今の教育の方法は一斉授業が主です。
知識的教科を習得するのは合理的な手法ですね。

素人ペーペー母さんの私は、小学生になったらいやでも一斉授業で以降の多くの時間を過ごすのだから、
幼児期の少ない期間だけでも、自分のその日の気持ちと興味を持って園に行き、
自分で決めた遊びを始めて、もしかしたら、それが他の子とも共有できたりする。
そんな発展する遊びなんかを体感してほしいです。

自由保育ができる環境と教諭(または保育士)が整っていれば、障害のある子どもも一緒に、同じ空間で過ごすことができるんじゃないかな~というのも、最近思います。
(モンテッソーリ教育は障害のある子への教育の試行錯誤から始まったので、もしかしたら共にできるのかな??)

双子のいるクラスがいま、軽度の障害のある子がいるのですが、双子は自然と受け入れて遊んでいます。

一斉保育だと、同じ能力や結果を求めがちになるので、向上心を育てるにはいいのかもしれませんが、
『同じような子』 ばかりでないと、保育者もやりにくいでしょう。

でも、『同じような子』しかいない教室って、すごくオカシイ。

上手く言えないのですが、素敵なおもちゃと遊びを介した保育で繋がると、
個人の能力ではなく、興味で繋がれると思うのですが…
子どもの『遊び』に可能性というか、夢を持ちすぎでしょうか?

幼稚園も小学校も、大人になったら接していく『社会』の縮小版、『小さな社会』です。
特に母親は、我が子が園に行き始めたり、就学したら、
「ああ。自分の手を離れて、社会にまた一歩入っていった。」って思います。
その『小さな社会』には自分と同じ健常者しかいなくて育ち、大人になって色んな人がいる社会に入る…

幼稚園や小学校は知識的教科の学習の場であると同時に、社会を学ぶ場だと思います。
社会には、楽しい事もあれば、理不尽なこともある。
それを、親や教師、地域の人、友だちの力を借りて学んでいく場だと思うし、そうあって欲しい。

だから、色々みんなあるけどさ(と、ちょっと逃げ腰になりつつ)
社会の一員の障害のある子も一緒に過ごして欲しいと、思います。

うん、青臭い。


でも、現実、そうじゃないってことは、私が知らない色んな困難な事があるんだろうなぁ。

障害のある子を普通学級に入れるのは、健常者の学びの教材としてなの?
障害のある子のお世話をすることは、思いやりの心や理解を促すのかもしれないけど、
お世話をしたり一緒に遊びたくない子もいるよ。その子に強制するのはよくないんじゃない?

学校は勉強が第一だから、勉強に集中できるクラス運営をしてほしい。
社会勉強とかいって、主要教科の授業時間を削らないで欲しい。
そもそも、現場の教諭に負担かけすぎ。

だよね。うんうん。自分でも批判的な意見が出てくるし、夫にはもっと痛烈に言われました…。
(反対の意見を言ってっていっただけなのにさ…)

小学校の話にまで発展させると、机上の空論がますます空回りになるので、やめ!

でも、子どもの頃に、多様な人々と出会い生活することが、大人の社会の悲しい歪みを少しでも無くせるんじゃないかと思います。
みんな違ってみんないい。
教室の壁に貼るだけじゃ、だめだよね。

しかし現実に、インクルーシブ教育を取り入れた幼稚園に、健常者の親、障がい者の親は、我が子を入れるのかな。
どうなんだろう。
現実は子どもが集まらないと私立の学校法人の経営が出来ないし。
その点、社会福祉法人の保育園の実践例は多いようです。
(保育園は『生活』の場、幼稚園は『勉強』の場という、行政の管轄も違うし運営主体も違うし)

『子どもの遊び』が共生社会の入口になる。なぁんて、最近の私の青臭い考えです。
口だけなら何とでも言えますけどね…

母さん歴5年の私の思考整理でした。
ここまでお付き合いいただいた方、ありがとうございました。


いつもありがとうございます

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